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三浦主事の民事録
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民事裁判の体験記録です
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殺人命令とそれを扱う裁判、岡崎(一)について

2018/10/24 17:47
1945年10月24日に発効した国連憲章は、文脈上「戦争」を根絶した。その結果戦争はすべて「紛争」になった。これは宣戦布告して行っていた「決闘」が、それ以降今日に至るまで当事者間の「喧嘩かリンチ」になったということである。これを倉山満氏は「近代の文明を捨てて、現代が野蛮になった」といわれている。宣戦布告がないということは、いつ始まって、いつ終わるかという「平和と戦争のけじめ」がなくなることである。誰が敵で、味方で、中立なのか区別もなくなるということである。戦闘員/非戦闘員の区別もつかなくなる。戦争の言葉としての定義が、法的状態説ではなく、実態説となっているということである。「宣戦布告をしたら違法行為」となる。

冷戦を担った米ソ両国によって、ヨーロッパ文明の精華の一つであった「国際法秩序」が破壊されてしまった。「決闘のルールで決着をつける」という発想ではなく、「悪魔をせん滅するまで(実態としての)戦争をする」という総力戦志向である。冷戦の主役であるアメリカとソ連は、ウィルソンの「民族自決」という一種の宗教と、共産主義という新たな宗教で戦後の世界を支配し、ウェストファリア条約以降の国家秩序を破壊したということなのである。

昭和天皇にご領導戴いた日本帝国は、宗教の違いだけで他国の人を殺してはいけないという価値観を持ち、天皇機関説によって国内を統治する能力と、国際条約遵守能力保持していた。しかしウィルソンがぶち上げた民族自決とは、国民国家を前提としないエスニックとしての民族に、そのままで治安維持能力と条約遵守能力を授け「ネイションの資格があるよ」と宣言したのである。(ウィルソンの言う)「民族自決は、主権国家間の合意法である国際法を事実上破壊する内容でした。」(「国際法で読み解く戦後史の真実」倉山満)

国際法を遵守する世界の優等生であった日本帝国を、国際法ならざる報復感情で裁いた東京裁判は、アメリカが国際法を十分に理解していないことを明らかにしている。これは2・26事件で皇道派の将校らが果たせなかった「議会を政党(大政翼賛会)の下部機構とするというファシズム」を、アメリカ占領軍が、天皇機関説を唱える昭和天皇に対して勝者の占領政策によって行ったのである。今もアメリカの属国である日本の立ち位置は主権国家間の国際法秩序ではなく、国際連合による総力戦という野蛮な世界に放り出されている状況を明らかにしている。冷戦構造が終焉したといわれる現在も、国際法に対する怨念と報復感情に彩られている世界なのである。民族自決と共産主義が勝利した戦後は、核兵器の怨念が支配する暴力に満ち溢れた野蛮な世界なのである。

立憲君主制とは制限君主制であり、天皇は憲法の命ずるところにより、すべてを行う。天皇機関説は、明治憲法下で現に行われていることをそのまま記しているのであり、それは、天皇機関説を非難攻撃したところで変更されるわけではない(山本七平)。国会は「天皇の命令に服するものではない」し、逆に「天皇は議会の制限を受ける」のである。そうすると国会が「国体明徴決議」なるものを行い、天皇に絶対者として国会に命令してくれと懇願したのは奇異に見える。それは議会の自殺だからである。

憲法が戦後70年たっても一つの語句も変わらずにいる。これは憲法の「戦力を持たない」という文言が「祝詞」として日本人によく適応しているのである。尖閣が侵されようと、ミサイルが日本上空に飛んで来ようと、ロシアが年内に平和条約を締結すると公言しようと日本人は祝詞を選ぶのである。今そこにある危機に対応しようとしない態度は不思議というか、不気味というか、そこになにか熱狂的な秘めた激情を感じるのは私だけだろうか。祝詞を選択するのは、何も考えなくてよい平和な日常が保証されるからであるし、祝詞をいじるのは日本教において不都合であり、又不適切と感じるからである。日頃言葉を封じておいて、有事の突発の際は超法規的な激情が「非国民!」という言葉とともにほとばしり出て、この不完全な言葉と危機的現実の隙間を埋めるのであろう。

70年間「祝詞」をいじらないことからして、日本人が智に働く「言葉」を信じていないことを理解する必要がある。智に働けば角が立つ。つまり言論に意味がない!?日本人は、人権が言論に於いて先行していること、天皇機関説が表す議会主義の人権に与える制度的な意味についてよくわかっていないということである。その議論が、閉ざされた言語空間に於いては必ずしも保証されないということの理解である。(政治的説明責任の中枢の不在、カレル・ヴァン・ウォルフレン)問題が起こった時は、関係者が誠意をもって協議すべし!この日本人に特有の心性が、人権のよりどころである「国民国家」なき戦後体制に適合した裏事情であると思われる。

それともう一つ日本人が戦後の冷戦構造を利用して自らの国家を毀損しようとする見えない方法が、選挙で選ばれた自由民主党の首長が、日常業務に着くや、国民の自由を守る政策を政敵(反日日本人)と対決し、断行するのではなく、反対に日教組や自治労と談合し、共産主義政治を取り入れようとするものである。「選挙で選ばれたリーダーが民主主義を弱体化するべく、議会や裁判所を悪用する(スティーブン・レビツキー)」というベネズエラやトルコと同じ手法である。そこに偽りの民主主義があり、小金井市役所大久保慎七市長のように自治労との談合の裏で、親戚の土地にビルを建てて、それを小金井市役所という自治体に10年間のリースに出して合計100億円を手に入れるという手法である。

自民党が共産主義者と談合するのは、議会制をあいまいにし、人民民主主義革命の第一段階としての憲法を維持するためであり、立憲君主主義の内容を人民主権としておくためである。小金井市役所のように共産主義者が職員の給料表を作成し、分配の平等化と人事権の過半を掌握しているという厳然たる事実がある。また同時に住民参加と称して市民の労働力を搾取し、職員はタバコを吸って雑談しているという方法は、共産主義の実質的な一側面を明らかにしているのである。

筆者は昭和51年小金井市役所に奉職したが、そこはすでに自治労が市政の実権を握っていて、共産主義者の天下が実現されていた。分配の完全平等化(職務職階制の否定・年齢別完全通し号俸制給与体系)、清掃・給食・警備業務等の現業職の正職員化(一般事務職と給料表の一本化)、母親を(三歳児から引き離して自主グループと称して)使役することによって、人民公社と同様の秘密の三歳児教育制度を実現したなどである。仮にこれらを共産主義政治の部分的な実現としてみると、市長と自治労の談合が完璧な内部統制として貫徹することによって共産独立共同体が出来上がったことになる。自由民主党と共産主義者が談合すると、自由民主党は、自由主義政党であると主張できなおかつ共産主義も肯定できる。共産主義者は、共産主義が歴史的に正当であると主張でき、なおかつ自由民主党を偽りのファサードとして泳がせておくことができる。一方は蓄財に励み、一方はソビエト自治体の充実と共産革命の準備に専念できるわけである。

小金井市役所は共産主義者らがポーランドの自主管理労組「連帯」の手法で偽装し、自労委員長(毎熊氏)の解雇撤回闘争という司法判断の助力によって勝利した。そのことで質的に一段と純化した(一転突破した)ソビエト自治体であった。しかしそれが全面展開するには、今度は国政レベルでの共産主義が必要となるのである。

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オウム真理教による首都圏における細菌・毒ガステロ攻撃があった。麻原は1983年昭和58年3月18日渋谷区で超能力開発の道場を開いてからわずか6年後の、1987年昭和62年1月4日丹沢セミナーで早くもタントラヴァジラヤーナ、ポアについて言及している。翌1988年7月日本シャンバラ計画発表。そしてすぐ1989年平成元年11月坂本弁護士一家殺害と続き、1990年平成2年3月全世界にボツリヌス菌をまいてポアすると宣言。翌月4月信徒を石垣島に集め、避難させた上た上実際に首都圏でボツリヌス菌を撒布。1991年平成3年10月麻原は自らをメシア(キリスト)と宣言し、年号を救済元年とする。同時に1993年平成5年6月皇太子後成婚パレードにタンソ菌撒布を計画する。

オウム真理教が宗教法人を使って当初から共産革命を企図していたことがわかる。当初から、いかにして細菌兵器、毒ガス、レーザー兵器の開発、AK-74の製造、軍用ヘリの輸入、小包爆弾の製造が可能となるか計算して宗教法人の法的地位を利用したのである。オウム真理教が宗教の自由と不可侵性を利用して殺人を働いたのは、それまでにこれを可能とする全国の自治体における共産化のネットワークが存在していたことを知っていたからである。これを当時の言葉で共産主義の全国的な「ネットワーク」化という。

オウム真理教は1989年平成元年11月坂本弁護士を殺害する前に、同年2月10日オウムを殺人集団と見抜いた信者(A信者)を殺害している(その後常態化)。「オウム真理教被害対策弁護団」の主任弁護士を殺害する前に、前段として内部統制の強化がどうしても必要であり不可欠なのである。外部に対する殺人などの違法行為は、内部において殺人命令(総括)として発せられる。だからA信者はオウムの凶悪な実態をうすうす感じたのではなく、はっきりと明確に職務命令としての違法性(殺人命令の違法性)として確認していたのである。

もちろん明らかな違法性を指し示す職務命令には従ってはいけない。ところがあまりに公然と麻原からこの職務命令を受けた古参の最高幹部の一人である岡崎一明は、その霊性の高さ(内部評価)にもかかわらず、その命令が宗教的な修行行為であるかのように自ら納得させ、命令のままに坂本弁護士宅に赴いてしまった。玄関は鍵がかかっていなかった。そして岡崎は命令のままに実行してしまった。(一方村井秀夫殺人事件では、青山総本部の裏手の入り口が施錠されていて、これが村井殺害のきっかけとなっている。)

ところが三ヵ月後の1990年2月10日岡崎は3億円と言う巨額のお金を持ち出し教団を脱走した。オウム真理教は個人ではとても解体できないが、自らを自由世界に解放し、関係を絶ち、オウムを相対化できる立場に置くためであると思われる。教団と言う閉ざされた言語、身体空間において、彼が選択した唯一の解決策であったと思われる。その自由世界の片隅で、彼は2月10日神奈川県警に坂本弁護士を埋めた場所を匿名の手紙で知らせた。警察当局と連絡し、協力することが唯一贖罪の証であったが、ご存知のとおり、神奈川県警察はこれをガセとして切り捨ててしまったわけである。この岡崎がオウムと敵対の道を選んだ行為は、当然裁判において酌量されなければならないものである。岡崎は坂本弁護士殺害の実行犯である。それは現行法に依れば極刑に値する。ところが彼は内部総括による殺害の危険を省みず、警察に協力しようとした。

一方で林郁夫は、それから5年もたった1994年3月20日地下鉄でサリンを撒き、車内の200名もの無辜の市民を殺害しようとし、実際一部の複数の人間を殺害した。ところがオウム裁判ではこの林郁夫が無期懲役であり、岡崎一明が死刑となった。これはいったいどういうことか。いづれも自らの犯罪を悔い、反省したことに違いはない。

警察に協力した岡崎はサイコパスではなかったということである。この判決からわかることは、裁判所が、日本では、命令権者(麻原、稲葉小金井市長など)が自治労など談合していて、場合によっては共産主義者のあっけらかんとした違法命令も職務命令として発せられる可能性があることを理解していないことである。そして本件オウム殺人事件ではその命令を受けた人間が、厳しい共同体の監視下に縛られていることから、仮に殺人命令といえども従わざるを得ない、ほかに行動の余地はないと思われる。しかし岡崎は自らは殺されることもいとわずに警察に協力したのであるが、司法側は犯罪者集団を一方的に断罪するという平面的な構造にとらわれており、岡崎のような(一部の)悔い改めた行為の複合性と評価を切り捨ててしまうことである。

地下鉄サリン攻撃は社会的な衝撃となったが、2・26事件のように首相・閣僚・要人等の殺害にはいたらなかったこと、また裁判所、国会、放送局、新聞社など主要機関の占拠にはいたらなかったことで、その日本共産革命の野望は費えてしまった。しかしその後の国松長官殺害未遂事件などを見ると、これらのテロが計画されていたと見るほうが正しいようである。1995年3月22日遅きに失したが、教団施設の一斉捜査が行われたため、頓挫したもののようである。仮に2・26事件型の要人テロと主要機関占拠にまで事態がいたった場合には、自衛隊を抑えるために、北朝鮮の軍隊が日本の秋田県に上陸するという密約があったと聞いたことがある。その際に重要なのは、首都圏を目指す沿道の自治体(の首長)が国旗を振って北朝鮮軍を応援するのか、日本の自衛隊に信号を守れと言うのかどちらであろうか。あ、これは二者択一ではなくて同じことを言ってしまった!
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