カルロス・ゴーンには見えて、日本人には見えていないもの

カルロス・ゴーン氏(以下K氏)は、一月にレバノンで記者会見した。談合国家に住むわれわれは、人質司法と推定有罪の暴力性が見えないが、言論において自由となれる議会制民主主義で育ったK氏には特捜の手法が「国家によるテロリズム」と映った可能性が大きい。K氏はそれを記者会見で説明したかったものと思われる。国際社会向けには議会制民主主義国家の振りをしながら、いきなり空間が割れてテロリズムが牙をむくきわめて恐ろしい国であることのアピールである。

合衆国法典第22条で、「テロリズム」とは準国家的集団または諜報部員によって非戦闘員に対して行われる、事前に計画された政治的な動機を有する暴力をいうと定義されている。大統領令第13224号では、暴力行為または人の生命、財産もしくは施設にとって危険な行為を含みかつ、(A)民間人を脅迫し、または威圧すること (B)脅迫または威圧によって政府の政策に影響をあたえること (C)大量破壊、暗殺、誘拐、または人質をとる行為によって政府の行動に影響を与えること そのいづれかであると定義されている。

推定有罪は日本国の国柄である。カルロス・ゴーン氏(以下K氏)のように無罪(少なくても推定無罪)の人間にとっては日本国の国家犯罪となる。推定有罪は日本国の隠れた真の権力構造であるところの「談合」からもたらされる。談合は民主的手続きによって罪状を決める過程から離れ、評判が悪く疑わしい人物をいきなり「表向きは民主的な言葉を使って(この場合は有価証券報告書虚偽記載というもっともらしい熟語を使って)」いかにも罪状が確定しているかのように装い、拘置所という獣の罠に落としこむ。これは冷静に見れば国家の、国民に対する宣戦布告であり、それは明白な国家犯罪なのである。談合国家は談合に応じない個人を獣の罠にかけて、世間から抹殺しようとする。この特捜による国家犯罪が一般的に露見しないのは、日ごろから日本人はお上は犯罪を犯さないものと洗脳されているからである。K氏のように獣の罠に落ちた民主主義者は逃亡できることは出来ず、個人として拘置所の中で消耗し、錯乱してうつ病になってしまい抵抗の手段を失うからである。K氏が日本政府・国家機関の介入を指摘し、匂わせているのはこの間の身柄拘束から証拠調べに入る手法が「日本国家の意思」であることが明らかである一方、国際社会には見えないで理解できない「談合という原理」であることが理解できているからである。

K氏はもともと胡散臭い奴だから罠に落ちて仮に死に至っても自業自得と考えるのか、胡散臭いが、無罪と知りながら獣の罠にかけて殺そうとした特捜を極悪人と考えるのか。K氏の立場に立てば、国家犯罪となるのであるからいうまでもなく当然後者となるのである。

カルロス・ゴーンは一月のレバノンでの記者会見で、日本は民主主義国家であるが、特殊な民主主義であると発言した。これは訂正されなければならない。日本は民主主義国家の振りをするがその本質は談合国家であり、従って議会制民主主義の国家ではないと国際社会に断言しなければいけないのである。議会制民主主義に優位する談合という感情がらみの制度があり、個人に対し、任意取調べの前に有価証券報告書虚偽記載という罪状を貼り付けさらにマスコミに流して「公知」としてしまう手法をとるからである。

確かに有価証券報告書虚偽記載という罪状が世間に示された。そしてそれがマスコミにリークされる。しかしながらそれは取り調べの前に示されるべきものではない。それはあくまで特捜の談合によって得た心象であるからである。有価証券報告書虚偽記載という罪状を先に示して、身柄をお白洲に取り込み、拷問(Kが感じた)によってそれを白状させるという手順は、順番が違うのである。日本国では、議会制民主主義は床の間の飾り物であり、談合国家は例によって賭けマージャンをしながら状況を忖度するのである。

特捜も行き過ぎたが、カルロス・ゴーンも悪い点があるのではないか?そのように相対主義で「権力やくざ」(郷原信郎氏)の犯罪を見てはならない。有価証券報告書虚偽記載と言い出した特捜こそが極悪犯人なのである。

憲法31条に、「何人も法律の定める手続きによらなければその生命もしくは自由を奪われ、またその他の刑罰をかせられない」とあり、刑事訴訟法336条には「検察官の有罪立証がない限り、被告人は無罪」とある。しかし談合国家日本では、K氏に任意で事情聴取しないで、いきなり長期拘留を強制する。証拠隠滅の虞があるためというが、かりに証拠隠滅で罪状が立証できないのであれば、それで被告人は無罪となる。それでよいのである。それが憲法31条の規定である。民事で争えばよい。人を社会的に抹殺、冤罪を作り上げるよりよっぽどましである。特捜は、日産の幹部らの多くがK氏は悪いやつであるという発言を取り上げて、そこで日本談合結社を作り上げて、K氏を獣の罠に落とした。K氏の抵抗で何年かかろうと、拘留が何十年になろうとかまわない。本件でカルロス・ゴーン氏が命がけで逃亡したことからすると彼には死の予感が確かにしたことは間違いない。つまりそれは彼が落ちた罠は下から逆槍が多数はえていた必殺の獣の罠だったことになる。特捜の心象が正しければそれは歴史的な手柄となり、万が一犯罪が立証できなければカルロス・ゴーンが個人でいつまでも司法で争えば良い。これは他人事ではなく、明日のあなたの話である。

769年(1769年ではない)当時の称徳天皇(チョウソ)に道鏡を次期の天皇にせよとの宇佐八幡の神託があった。8月和気清麻呂は宇佐八幡に神託の真偽を伺いに赴いた。帰朝して和気清麻呂は「わが国は開闢このかた君臣のこと定まれリ。臣をもって君とするいまだこれあらず。天つ日嗣は必ず皇諸を立てよ。無道の人はよろしく掃除すべし」という神勅を奏上した。しかしながら道鏡に皇位を譲りたいと考えていた称徳天皇は激怒し、和気清麻呂を「別部の穢麻呂」と改姓させた。この理由のない私権への介入は国家犯罪と言える暴挙である。ところが天皇は無答責であるから刑事責任は問うことが出来ない。

特捜は無実の人間(K氏)を間違って摘発・逮捕・監禁・形式的起訴をしても説明責任や個人的責任は問われないといういわば無答責であり、その意味で天皇と同じ地位にある。

安部内閣が黒川検事長の地位になぜ拘ったのかというと、桜を見る会を始めとするお友達政治の不都合が刑事告訴されるのを防止するためであるが、実は安部氏が検察と同化して国政において無答責という権力の全能性を手に入れるためであると思われる。特捜側の、K氏事件が国家犯罪であることを隠せるとともに、その一方安部内閣の国家犯罪を隠せるという相補性である。

この推定有罪の隠れた国家原理を談合を利用してひそかに利用しようとする者がいる。それは極悪非道でなくてなんであろう。本ブログでは稲葉孝彦が小金井市長であった時に一職員(三浦主事)にこの極悪非道を行ったと指摘しているが、詳細は次回に詳しく述べることとしたい。

日本人はくれぐれも日本国家が推定有罪の世界にも類まれな国家であることを認識し、無邪気に議会制民主主義と言論の自由を振りかざしてはいけないことを肝に銘じ続けなければいけない。