アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
三浦主事の民事録
ブログ紹介
民事裁判の体験記録です
zoom RSS

日本的な情況倫理によるつじつまの合わない論理

2018/07/28 13:23
日本共産党リンチ事件が70年代に改めて問題になったことがあった。これについて日本共産党が反論したのであるが、山本七平によればこれは、日本的な情況倫理による辻褄の合わない論理なのであるという。

日本共産党の見解は次のようなものである。
@リンチという「行為」は悪であり、従ってだれがだれに対して行っても絶対に許されない。人間はこの規範の前に平等であるべきだから、特高のリンチが許されないがゆえに、共産党のリンチも許されない。【西洋的な固定倫理】
Aリンチを付随する「世界に類をみない強権的な苛烈な弾圧下にあったのだから、その「情況」下に派生した共産党のリンチは、リンチという行為だけを取り上げて同一規範で律してはならない。リンチという行動に出ざるを得なかった情況を創出したものこそ非難されるべきで、リンチを行った者は非難されるべきではない。従ってこれの探究は「正しい歴史認識に立った冷静な取り組み」が必要(なの)である。【情況倫理・西洋的な固定倫理の緩和措置】
B前記Aのような情況にあったことは事実であるが、その情況下でもリンチはなかった。リンチがあったというのは悪質なデマ宣伝であり、その情況を創設した者が、故意にその情況を捨象してデマ宣伝を行うことは、当時の状況を暗に肯定している証拠であり、従ってその者は、その情況を創設した者と同罪の反共・帝国主義者であり、特高の手先である。【辻褄の合わない論理】

ここで奇妙なことに気づく。最初からリンチがなかったのならAの情況倫理を主張する必要はない。@を主張して終わりとなるはずである。またリンチがあった時だけ@の固定倫理をAの情況倫理で批判すれはよいはずである。このことから、情況倫理に水を差す者は反共・帝国主義者というBの主張が余計なものであることがわかる。この辻褄の合わない論理は、リンチがあったかのようなデマ宣伝に口を挟む者は、反共・帝国主義者となるぞと逆に脅して平然としている。しかしながらリンチ殺人があったかなかったかという趣旨とは直接関係がないのである。いったいこれはなんなのか?

この日本教の「辻褄の合わない論理」は何も戦前の論理というわけではなく、戦後の例えば北朝鮮の拉致問題にも適用される。戦後は東西冷戦のために分断された国ゆえに、隣国の人たちを拉致して自国を守る必要があったという、Aの国際情況から出発して拉致を認めると思いきや、当時、このようなことを言い募るのは反共主義者・右翼による小国いじめの悪質なデマだということで、金正日が国際報道で認めるまでは拉致はないことになっていたのである。(そしてその後7名の被害者を返した後は、拉致被害者はいないことになっている。)

そのほかの事例では、産業活動に伴う二酸化炭素の大量の排出による地球温暖化が大々的にキャンペーンされていることがある。実際は地球の気候は寒冷化しているのではないかという議論や、米国や中国が排出ガス規制を無視していて、その排出量が世界全体の45%になる状況に目もくれていない。もっぱら国内向けに、環境問題をないがしろにする奴は先進国の国民としての資格がないなどと逆論理で脅して、とにかく先進国で唯一、二酸化炭素の削減に邁進し、国力を自ら低下させてもひたすら国民運動としてCo2規制に取り組んでいる。

女性の肺がんはこの数十年低下の一途をたどっているのに、副流煙はがんの原因になると決めつけて議論を許さない。東京都ではたばこ条例を制定し、原則として人の集まる施設内での禁煙に踏み切った。千代田区は室外も禁煙であるからここでは原則としてたばこを吸うことができなくなっている。この規制により都内の中小の飲食店が経営不振となり廃業に追い込まれようとそれはお構いなしである。

このように目に見える非違行為あるいは目に見える国難があるときに、日本教の情況倫理では違法・国難と決めつけることはできないのである。その非違行為・国難を公然ともたらした者からは、辻褄の合わない論理を持ち出せば実際の違法・国難状態をペンディングできるということである。つまり辻褄の合わない論理を持ち出せば国家への反逆のやり放題となる。

日本語が、日本と言う擬制的な共同体の中に存在することである。実際は幻想にすぎない自分たちの仲間や味方同士という同一感を高めることが何よりも日本人の安心に直結するのであり、お上が国家反逆をしている事実と日本人の発言能力との間に言葉が響くことのない闇の空間が存在する。日本教はその市民同士の安心を優先し、逸脱、違法とあからさまにし西洋倫理で詰める作業を後回しにするのである。事実の議論はお上か学者か、「あのときを語る」語り部に任せておけばよい。

この辻褄の合わない論理に何分かの嘘が含まれていることを、日本人は知っている。それでも次の新しいつじつまの合わない論理が共同体の論理とされるまでは、それを個人として勝手に発言し、あからさまにしてはならない。高浜原発訴訟裁判で、差し止め請求を認める判決を出した裁判官のように、即座に地方の家庭裁判所に飛ばされ、組織内で出世の道を閉ざされて排除されてしまうからである。

昭和16年夏、日本海軍は図上演習を行い、アメリカには勝てないと結論を出していた。中国国民党、ソ連を相手に大陸で戦っているときに、更に広大な太平洋に於いてアメリカと英国、オランダに対して戦端を開くなどということは如何に最強の軍隊といっても勝つ見込みなどなかったのである。ところが日本教に於いては、この事実からの演繹には目をそらし、国民総体として無責任な必勝の精神主義が優先するのである。

現在、日本にはスパイ防止法がない。とりあえず、スパイは事実ではないからである。そして、事実を報道しない報道機関である朝日新聞を優しく擁護できるのであり、悪の枢軸としての共産主義は絶滅を宣告されることなく、国会に議席をもち、今も渋谷区代々木にその名称とともに健在である。

このように個人は独自の言葉と知性をもてないのは、その個人とは別個に整然と存在している統一体としての日本教のなせる業であることを理解する必要がある。

(参考;講談社現代新書「山本七平の思想」東谷暁著132頁以下)
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


続きを見る

トップへ

月別リンク

三浦主事の民事録/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる