HG原氏について

萩原は嘘をついているということがわかっている。今村さんの証言で、職員会議はなかったし、神経科の医院は東町地区には存在しない。また三浦主事が署名を断られた人はいないのであるから基本構造が嘘であることが立証されている。この嘘が公平委員会でつかれ、そのまま名誉毀損裁判にもっていかれたわけである。劣勢にたたされた萩原は、今村証人の証言の直後、2002年4月3日裁判の最終盤で更なる嘘をつかなければならなくなった。今村さんの証言とは正反対の職員会議の様子を語ったことと、これまでの証言はその場その場の陳述ではなく原本があったという主張である。これらは、現在も含めて重大な事実を小金ヰ市自身に突きつけているのである。控訴審判決で表面上は回避はされたが、前者は、小金ヰ市の福祉事務所では勤務時間内の会議で、特定の職員の事実に基づかない職務に関する密告会議が課長を含めて正式に行われていて、その密告に基づいて三浦主事の配転が実行されたという事実。そして後者は、(架空の)密告メモを文書に定着させるという公文書作成行為である。特に前者は萩原個人の利益のために、福祉事務所という公の機関の名誉を踏みつけにしている点で、関係者は深刻に捉える必要がある。

嘘をつくことについて、日本人は公になればなるほど(ぎりぎりの土壇場になればなるほど)、嘘をつくという指摘がある文章にぶつかった。

「日本人は、真実を言わない。とにかく、公式の場合にはそうである。また、かれらのいう嘘が本当のことだと相手にとられても、大して気にかけないようだ。しかし、真理というものを公然と無視しようとするならばいっさいの話や断言は無意味なものになるのだから、これがそっくりそのまま事実だとはうけとりがたい。とはいえ、とにかくかれらは、しゃべっているときには、自分のいうことを信じてもらいたいと思っているくせに、あとになって間違いを見つけられてもいっこうに平気である。」 

「ある特別な機会に、役人のひとりが故意に前言に反したことをいったのを一外国代表がみつけて、いささかぶっきらぼうに、「こんな見えすいたうそをついても、良心にはずかしくはないのか」と質問した。すると相手は,落ち着きはらって、すこしも動ずることなく、次のように答えたものだ。「私は、先月、かくかくのことがなされたと申し上げた。だが、いまは、それが全然なされていないということをお知らせする。私は、うけた命令を実行し、言えと命じられたことをいうのを任務とする役人にすぎない。それが真実であるとかないとかということは、私にはなんの関係もない」と。」 (「大君の都」オールコックより)

つまり日本人の不特定の多数(少数)は、公の場になればなるほど嘘をつきやすくなるということである。天地神明に誓って、嘘をつく。
「政治家が「何も聞いておりません。記憶にありません」と真顔でとぼけて語ることをあれほど糾弾しながら、ほとんどの日本国民はいざとなると、まさにこうなるのである。その場をさしあたり切り抜けることができさえすれば、嘘を何百ついても、そのあいだにどんな矛盾が生じても、何の良心の呵責も感じないのだ。」
「こうして、われわれ日本人は、公共空間で発話しようとするやいなや、自分が「ほんとうに思っていること」と「思うべきこと」とが渾然一体になってしまい、いわば(語りたいこと)と(語るべきこと)との境界が消えてしまう。「語りたいこと」は「語るべきこと」に隅々まで管理され、チェックされ、こうして徹底的に濾過された無難な言葉だけが、公共空間に飛び散る。」
(「醜い日本の私」中島義道より)

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