知床遊覧船

日本がいまだに、薩長の築いた155年前の兵営国家のままであるとすると、その学校教育では将校、下士官、兵卒、高等技術者、技工特科兵を選別的に育てる目的をもって大事に行われることになる。それは国家にとって役立つ使い捨ての消耗品を育てるものであるから、当然「安全」と「安心」に細心の注意を払って教育されるわけである。国民はその有難い教育的配慮で洗脳されてしまうが、ところが一旦学校を卒業すると途端に命は鴻毛より軽くなり、天皇制と共同体の維持発展のため命を捨てろと言われる。お前の霊は英霊として靖国で祀ってやるとされ、遺族には恩給が支給されるとされる。誠に、生き馬の目を抜く伸るか反るかの国際世界に生きるにあたって誠に効率的であり、個人が兵隊である市民社会はこれほど都合の良いことはない。日本人はいつでも死ぬ用意が出来ている厄介な存在としてある。

社会有機体社会の在り方が、「知性」においても個人に襲い掛かる。学校教育は知性を育てるものではない。兵卒にとっての教育は、その教育期間の一単元をいかに記憶させ、戦場における行動に役立たせるかという目的で計画的に行わるのであるから、いかに「ピタゴラスの定理」を教えていてもそれはそれによって考え、翻って社会全般に知性を働かせる近代人を育てることであってはならない。あくまで上官の命令だけに機械的に従う兵卒を育てるための教育である。逆に言うと教師はこの教育を受ける兵卒に、なにか知性を育てられているのだと思い込む幻想を与えることが教師の技量という事になる。

国土交通省が、いまだ被害者・行方不明者の確保や、事故原因や、関係者の責任問題の解明が出来ていないこの連休中に、何と規制強化、つまり遊覧船の運航には波高が3メートル以内の波であることが条件であり、それ以外は認めないと民間企業に命令を出した。つまり今後規制と罰則を強化すると明言した。この連休中になにか仕事やっています感を出すための言い訳なのだろうが、どうだろうか。早すぎる。当然ながら今後波高3メートルは画一的で認められないという「下克上」があり、規制は見直されるという特有な日常が返ってくるであろう。

この発想は事実を見ないで、罰則と規制を強化すれば、当局の責任が回避される、つまり言葉をいじればどうとでもなるという大本営発表と同じ発想なのである。つまり当局は責任を回避するための言葉を優先し、実は事故の実態には直接関与しないで、結局何もしないという事なのであるが、このことは日本が兵営国家であり、兵に対しては罰則を強化すれば威光が日本の隅々までいきわたり、兵卒の行動が改まるという山県有朋あたりの明治の元勲の発想なのである。

自分で考え、自らその方向性を決め、自分で生きようとする者にとってこの国家は、155年間墓場を用意しており、自ら積極的に関わり、患ってはいけない。

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