小池と安倍の談合ついでにカルロス・ゴーン

コロナ特措法に基づく緊急事態宣言では、外出禁止の要請はできるが、外出禁止を命令することはできない。まして建物の立ち入り禁止や、都市そのものの封鎖は法的にできない。

ところが、小池都知事が安倍首相に面談した3月25日の翌日安倍首相は閣議決定で官報号外という印刷物により政令の改正を告示し(第60号)、感染症法の改正を行った。新型コロナウィルスを、同法32条の建物の立ち入り制限、33条の72時間にわたる交通の全面的遮断ができるペスト、エボラ出血熱と同じ第一類に入れてしまったのである。つまり今後発令されるかもしれない緊急事態宣言では、政府は全面的な交通遮断、地域封鎖(ロックダウン)が命令できる根拠をいつの間にか持ってしまったのである。このことを日本人は何人が知っているのであろうか?

ここで問題にしたいのは、政府が強力な私権の制限ができる法的根拠を厚生科学審議会の審議と国会の承認なく小池都知事と安倍首相の談合で手に入れたことである。

新型コロナウィルスは都市を越え、全世界的な広がりを持っていることや、東京圏が独立しておらず、近県の広域交通ネットワークを形成している日本の特殊事情や、72時間という短時間で効果が期待できるのかということもあり、いづれも多大な疑問がある。

先に国会で野党も賛成できた緊急事態法を制定して、政府の前向きな姿勢をアピールした。そしていよいよ新型コロナウィルスの感染爆発が目の前に迫った今、談合で、私権の制限をできる政令をいつの間にか手に入れた。ここに日本国の統治の方法の典型が表れているのである。日頃は緊急事態を想定せず(言挙げせず)、いよいよ危機が迫ると談合によってその場を切り抜けるという方法である。前者を議会制民主主義とすると、後者は談合(民主主義)であり、平時は建前としての議会制民主主義で国民をベイビーしておき、いよいよの危機には談合こそが権力の法源となる方法である。

この二重基準を日本人はそれとなく分かっているが、それを文章化していないで意識下に押し込めている。緊急事態に備えて・・・。そして教育では日本は議会制民主主義の近代国家であると教え込む。この議会制民主主義の上位に談合を置くシステムは化外の外国人には想像もできず、理解もできない。

この日本が二重基準の国家があることが理解できないレバノン人に、日本の二重基準を説明したカルロス・ゴーンの証言はどれほどの訴求効果を世界に対してもたらしたのであろうか、疑問である。象を知らない者に、それは毛が生えている、しっぽがある、牙があり、鼻が手であるな
どと説明してもそれは想像すらできないだろう。

日本人に対して、国家の危機に際して議会制民主主義を否定して、談合して意思決定するのは法の支配の否定であると指摘しても、何ら痛痒を感じないであろう。そもそも日本は根源的に談合(民主主義)の国家だからである。それを議会制の中に住む共産党、公明党その他政党を含めて日本人は支持し、許容する。

つまり、のちに裁判や審問があっても、手のひら(お尻ではない)をピシャっと叩かれて(カルロス・ゴーン)救国正義とされてしまう。これに対して議会制民主主義であれば(例えばGHQによる極東裁判など)死刑を含めた実刑が下されることになるであろう。

その時の日本人の裁判での言い訳はこうである。「あの時はこうせざるを得なかったのであります。」木戸幸一、東郷重徳、小磯国昭らの東京裁判での釈明である。

談合が現実の国家にあって、「あなた」は生きながらえるのか、架空の議会制民主主義国家にあって、「あなた」は死刑を求刑されるのを理念的に待つのかいづれをえらぶのか?と問えば日本人にとって答えは明らかであろう。

カルロス・ゴーンは経済的なプライオリティを持ち、それは侮りがたいものがある。しかしながら今のところ政治権力は持てそうもない。一見すると国家主権を背景に行動できないように見える。しかし例えば日米合同委員会などでカルロス・ゴーン氏に適用された推定有罪の取り扱いが世界人権宣言に基づく国際基準とは著しく乖離していて、改善されなければならないと指摘されたらどうなるであろうか?カルロス・ゴーンは日本から逃亡できたことによって、反論権が行使できるが、同時に自然法上の報復権もあるのである。

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